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妬まないこと(嫉妬しないこと) [エッセイ]

神様は一人一人の人間に、様々な個性と才能を与えました。 もし、十人いれば、十人とも個性も才能も違います。 他人に自分にはない才能があっても、才能が自分より上だと思っても、妬まないでください。 神様の賜物は様々です。 才能が異なっているのは、一人一人が自分の才能を使って、人々に仕えるためです。 人々が互いに支え合い、互いに助け合い、お互いの足りないところを補い合うのです。 ここから感謝と愛の心が生まれます。 聖書には「わたしたちはキリストの体の一部だ」と書いてあります。 それぞれに役割が違います。 しかし、愛によって結ばれ、一致するのです。 これが人間社会の意味です。 妬んでも(嫉妬しても)得になることはありません。 自分の心に平安を失って、損をするだけです。 自分より才能がある人と出会いました。 それは、自分自身をつつましく評価して、謙遜になるためです。 ですから、妬むのをやめて、むしろ隣人を尊敬し、 謙遜と愛によって隣人に仕えましょう。

見えざる戦い [エッセイ]

  ロシアには悪魔払いをする高名な神父さんがいる。悪魔払いと聞くと何か恐ろしい感じがするかもしれないが、正教徒にとって悪魔の存在は天使の存在を信じるがごとく明白である。正教会の教えによれば、神は世界創造の際、人間より先に見えない霊的な世界、天使の世界を創造された。天使は肉体をもっていない霊的な知的な存在で、神からの光を受けて輝いている。しかしこの天使の一部が神に妬みをもやし、神と等しくなろうと傲慢になったところから、堕落し光のころもを奪われてしまった。こうして神から遠ざけられた天使は黒い醜い存在となり、常に悪を心に抱く悪魔となってしまったのである。 見える世界が作られたのはその後であった。天体が造られ、植物、動物が造られ、最後にこの世界の王として世界を納めるべく創造されたのが人間であった。人間は土から作られたが、神の息を吹き込まれた非常に完成された存在であった。そこで悪魔は人間に対して妬みを抱き、人間を神から引き離し、自分と共に堕落させようとした。そして最初に造られた人アダムは悪魔の誘惑に負けて禁断の木の実を食べてしまうのである。その後も悪魔と人間との戦いは続いていて、悪魔は見えずして絶えず人間に妬み、懐疑心、憎しみなどの悪い考えを吹き込んでいる。(だから正教会的には隣人が自分に対して罪を犯したとき、隣人を憎むのではなくて、隣人を悪へとそそのかした悪魔の仕業を憎むように教えている。「罪を憎んで、人を憎まず」である。)一方天使は神からの善い考えを人間に吹き込み、人間を神と善行へと向かわせようとする。ほとんどの人はこの見えざる世界の戦いに気付かずに、悪い考えを自分の固有のものとして信じ込み、人を嫌い、しいては戦争という惨事にまで発展してしまう。これは悪魔の思うつぼである。  正教徒は洗礼の際「悪魔の仕業を断つか」と神父さんに問われ、「断つ」と宣言し、悪魔と縁を切ることを誓う。しかしそののちも悪魔は絶えず悪い考えをもって誘惑し続けるので、いつのまにかその考えに同意し、言葉と行動で罪を犯してしまうのが人間の弱いところである。そこで悪魔のそそのかしに負けて罪を犯したことを正直に認め、赦しのために正教徒は痛悔機密(懺悔)を受けるのである。正教徒にとって大切なことは、まず最初に心の中で悪魔からの悪い考えを拒むことである。その際に用いられるのが祈りであり、この戦いの際に「主、憐れめよ」と神の助けを求める。この一瞬の戦いに勝つこと、これが一生の修行であり、この悪い考えから守られ、心を清くたもてるようにと祈りも増やすのである。  ギリシャの有名なアトス山の故パイーシー長老は次のような話を残している。 「生活、その中には家庭生活も含まれますが、人々を概して二つのカテゴリーに分けることができます。一つのカテゴリーの人々はハエに似ています。ハエは次のような特性を持っています。いつも汚いところにとまっていて、よい香りのする花を避けて飛びます。ハエに似ている人々のカテゴリーとは、悪いことばかりを考え、探すことになれ、決して善を知らず、善を探そうとしない人々のことです。もう一方のカテゴリーは蜂に似ています。蜂の特性とは美しく甘いものを見つけ、美しく甘いものの上に止まり、汚いものを避けることです。このような人々は良い考えを持っていて、よいものを見、よいことだけを思うのです。私は他人を訴えることになれた人々全てに、その中には夫婦もいますが、彼等がどちらのカテゴリーに属したいか、と問います。」  絶えざる悔い改めをし、心を清く保つことになれた人の心には愛が宿り、世界と人々を愛すべきものとして見る。しかし残念ながらハエのカテゴリーに属しがちな人は常に悪に目を向け、虜になってしまう。このように悪魔の悪い考えに呪縛されてしまった人々がいる。そしてそれをいやすのが悪魔払いができる神父さんである。  この仕事は誰にでもできる仕事ではなく、非常に徳を積み、善と愛に充ち溢れ、神から悪魔払いの賜物を授かった人にしかできない。  セルギイ修道院のG神父さんも毎日この仕事に従事していて、ロシア各地からそして外国からも自分が悪魔に憑かれたと思う人々が癒しのためにやってくる。  G神父さんと知り合いになったので、わたしもラドネジの聖堂で祈ってもらった。実はこれはホラー映画ででてくるような怖いものではなく、愛に満ちたものである。聖堂にいた他の神父さんたちも、わたしも悪魔から自由になりたいと皆G神父さんの御祈りにあずかりだした。謙遜な人は自分も悪魔に負けやすいと素直に認めているのである。そしてそのあと、G神父さんがいつも悪魔払いの仕事をしているセルギイ修道院の聖堂に案内して下さった。  あふれんばかりの人が聖堂につめかけ、押し合うほどだ。G神父さんは説教を交えながら祈りを唱え、主に人々に犯した罪を思い出させて、悔い改めの心を作り出している。そして聖なる水(聖水)をかけたり、金の十字架を人々にあてがって悪魔から守り、神の祝福を乞うている。私は外国人ということで、特別に一番前でお祈りに与らせてもらった。G神父さんがわたしの前までくると、5分間ぐらい熱心にわたしの背中の腰のあたりを十字架でさすった。わたしは感動してしまった。実はわたしは赤ん坊の時に二階から一階に転落し背骨を痛めて大変苦しんだことがあるのだ。もちろんG神父さんにはそのことを話したことはない。しかしこの方も神からの慧眼の賜物で私の過去と病がわかってしまわれたのだ。そしてその時感じたG神父さんの心がとても温かく穏やかで愛にみちていた。このような人だから悪魔が遠ざかるのかと改めて自分の卑小さがわかった。  その後もこの見えざる戦いは続いている。まずは人を裁くことを悔い改め、妬むことを悔い改め、そして最近少し心に穏やかな喜びを感じられるようになってきた。しかしこの戦いに勝利すると心に神の愛が宿り、夜となく、昼となく心は燃えるという。セルギイ修道院で出会った神父様たちの深い愛を思うとき、そのことを思い出す。私はまだまだ修行が足りない。まだまだ悔い改めの人生である。

霊性を求めて - ロシアの修道院巡礼 [エッセイ]

 私たち正教徒一人一人に課された課題は、神の誡めを守り、キリストに従って、天の国に到達することであるが、日常生活の中でそれを完全な形で希求するのは難しい。この世の常識、理念が神の誡めの実行の障害になり、信者が悩むことも多い。そこで、より完全に神の誡めの道を歩もうとするのにふさわしい場として存在するのが修道院である。  修道士たちは修道院で、従順、清貧、貞潔の誓いをする。そしてさらに祈りをもっとも大切な仕事とする。  修道士たちは祈りを絶え間なく行う。祈りを行い従順の義務を果たしていると、最初に自分の醜さに深く気づく状態に到達し、自分を嘆く涙がこぼれる「涙の谷」をとおる時期が来るという。謙遜という状態である。聖書でも「心の貧しきものは幸いなり(マタイ五章三節)」とイエス・キリストが山上の垂訓の中で始めているように、謙遜は正教会での救いにとって善行の基盤、始めである。修道士たちの霊性はまさにこの謙遜から始まる(だから修道院に行って感じるのは、自身善行を身につけた修道士たちが私たちを見下すことがない、ということだ。)そしてこの涙は、ちょうど汚れたものを清める水のように、魂の汚れを清める。そして涙によって清まった魂に神の恩寵が注がれる時期が来た時、正教会でいう神の愛が人間の中に実現するのである。これが家族愛、友人間などの自然的な愛を超えた、神の愛に似た全ての人を愛する愛なのである。  わたしは洗礼を受けてからしばしばロシアの修道院を順礼し、特にセルギイ修道院とそのポドヴォリエを多く訪問し、修道士たちに魂の救いに関する貴重な話をうかがう機会を得た。そこで感じたことを少しつづってみたいと思う。    セルギイ修道院では創始者聖セルギイのことを皆「克肖者」と呼んでいる。「克肖者」とは修道聖人に対する称号で、大変善良なという意味である。彼等は絶え間ない心の静寂、祈り、痛悔(悔い改め)によって、欲望によって暗まされた神の像と肖を回復し、思いと感情と行いにおいて神に似たものとなった。正教会では人間が創造されたときに神の像と肖に似せて、つまり神の似姿を持った者として創造されたとい言う。像は失われることがないが欲望と罪によってくらまされる可能性があり、肖は善行によってさらに増していくことができるものである。 聖セルギイは母の胎にいた時からその奇跡で神に特別に選ばれた者であることを示した大聖人である。両親もその善行で崇められ、共に聖人として列聖され、セルギイ自身もこの両親のもとで正教会の教える善行を身につけて育った。故にセルギイは自分の境遇、善行に誇りをもつプライドの高い人物となることもできたのであるが、セルギイ祭の祈りの中にはセルギイがやはり修行の中で痛悔の涙をこぼした、というくだりがある(十月八日聖セルギイ祭、早課の規定第四歌頌「光栄なるセルギイよ、爾は預言者の如く涙の滴(したたり)を以て日々に爾の褥(しとね)を潤して、慾の海を涸らし盡(つく)すに至れり」)。どんなに偉大な人物の霊(たましい)の中にも人類の陥罪の傷跡があり、その普段は見えない堕落した本性を神の恩寵によって直視したとき、自分を心より罪人と思う、深い謙遜と涙が生まれる。セルギイが到達したのはこの深い謙遜、そしてそこから生まれる温柔、愛であった。この謙遜と温柔と愛に満ちたセルギイの霊性は後にロシア正教会の多くの信者の霊的生活の模範となった。   すべての人間の中には神の像と肖があり、それが欲望によって暗まされているところに、人間の悲劇がある。概して言うと欲望は本来人間の魂の性質には備わっていない、付加されたものである。ただし怒りなどのように魂の中にもともと備わった欲望もあるが、これは本来罪に対して向けられるべく備えられたもので、人に対して向ける怒りとは、欲望の誤用である。そこで正教会の悔い改めと領聖(聖餐)、善行、祈りの生活の中でこの人間にとって不自然な欲望が清まれば、程度の差こそあれ、神の像と肖は次第に回復されていくものではないか。  ところでロシアに行き、ロシア正教会の中で教えを受けながら、私は必ずしもロシア人になることを強要されなかった。ロシアで生活するにはロシア人になることだ、ロシア人魂を獲得することがロシアに溶け込む一番の早道だと意気込んでいたのだが、それは必要なかった。指導者たちはわたしの中にある欲望(憎しみ、ねたみ、恨みなど)は否定したが、日本人の民族性を否定したわけではなかった。    正教会では各民族に神から与えられた、独自の役割と性質を大切にする。わたしたち一人一人が創世以来二人とないユニークな存在であり、個々人の霊(たましい)の中にそのユニークな性質が生まれた時から備わっているため、人の真似をしてそれをゆがめたり、崩したりするのは真の救いではないからだ。逆に、ロシア語でリーチナスチともいうこの個人の個性、人格、ユニークさを回復することに正教会の救いがある、とも教えられた。むしろ欲望や常識でゆがめられたり、暗まされたりした、リーチナスチ、神の像と肖を回復することで、本来の霊(たましい)の中に秘められた真の人間性、もしくは私達日本人の人間性というものが現れてくるのではないだろうか。ここでわたしは命をかけて神の像と肖を回復した聖セルギイの霊性がロシア正教会の霊性の一つの模範になった、ということを思い出した。 日本人の霊性と言っても究極的には霊性の源は唯一の神であり、正教性も、善行が全ての民族にとって同様であるように(それは神の戒めである愛に象徴される)時代、場所、民俗を問わず普遍的なものであるが、正教の土着化の中で各民俗らしい正教が生まれてくることも事実である。それは民族性に大きな影響を及ぼす気候、風土といったものから形成される民族の文化に象徴される。しかしそれとは別にまさに回復された魂にある霊と神聖神の交流の中からどの民族にとっても真の人間性が生まれてくるものではないか、と思う。そのなかで、段々と、外国の模倣、外国のキリスト教「文化」の受容だけでおわらない、日本の霊性が生まれてくるだろう。   救いにいたる霊的生活はもっとも難しい学問中の学問、「天の学問」で、指導者の導きなしには歩むのが難しいものだ。ロシア正教会も長い間ギリシャ人から救いの道を学んだ結果、独自のロシアの正教性を生みだした。我々もまだまだ外国の修道の伝統、経験を積んだ修道士から学ぶことが多いだろう。    わたしは一連の旅で、修道士の謙遜から愛にいたるまでの修行の道と霊(たましい)の回復について聞き、日本人の霊性というテーマにも思いをはせるようになった。    世俗の中で暮らしていても課題は同じである。神の戒めを実行し、欲望を清め、謙遜や温柔や愛の徳を身につけて、救いに達成し、自分の神の像と肖を回復すること。この修道士が命をかけて辿る道からすこしでも教訓をもらい、救いに到りたい。そして、今は欲望に暗まされて見えない、神から創られた本当の自分は誰なのかを知りたいと思う。

ロシアで迎えた復活祭 [エッセイ]



チャイコフスキーのピアノコンチェルト第一番の出だしを聞く時、いつもロシアの広大な大地を思い出す。広々とした草原、果てしなく続く白樺の林、低く登る太陽の光に照らさし出された、淡いパステルカラーの風景。スモークブルーの空、やさしい緑の森、冬にはこれが雪で白一色になり風景全体が輝く・・・・このようなロシアの大地を一時間ほど走ると目指す教会があった。至聖三者セルギイ大修道院の創立者として有名な聖セルギイが育った村、ラドネジの主の変容聖堂である。白い小さな教会が冬の白い景色の中に溶け込んでいる。わたしがロシアで最初に迎えた復活祭はこの教会であった。
 わたしが到着したのは、正教会で復活祭を迎える準備期間にあたる大斎の第一週目であった。復活祭とは正教会の最大の祭りで、毎年春に祝われる。正教徒は皆キリストの復活、それに続く自らの死後の復活を心より信じている。キリストは死を滅ぼし、人類に復活の永遠の命を与えるためにこの地上に到来した。キリストは目に見えない神でありながら、処女マリアの胎を通って人間の肉体をまとい、この世に誕生したが、人として十字架の死を体験した三日後、完全な人として人類の初穂として復活されたのである。そしてそれに続く我々に復活の命を与えるものとなった。キリストの復活がなければその誕生も十字架もむなしいものとなる。正教会の信仰告白である信経のしめくくりは「我信ず死者の復活、ならびに来世の生命を、アミン」であり、まさに復活への信仰は正教徒の信仰の核心ともいえる。もちろん正教会には降誕祭(クリスマス)などキリストや彼を生んだ生神女(マリア)の生涯の出来事を記念する多くの祭りがあるが、復活祭はそれのいずれとも比べる事の出来ない、祭りの祭り、祝の祝、奉神礼生活の暦の中心なのである。
この偉大なる復活祭を清らかな心で迎えるために正教徒は七週間にわたる準備をする。この期間正教徒はより多く、節制、祈祷、罪の悔い改め、善行にいそしむ。この期間を大斎という。この七週間は土曜日、日曜日を除くと一年の十分の一として数えられ、旧約聖書で神が収入の十分の一を神に捧げるように命じられたように、正教徒も自らの一年の生活の十分の一を神のために清めるのである。またこの四十日間の節制は、主イエス・キリストが荒野で四十日断食して福音宣教に準備した記事とも関連している。私が到着したのはこの大斎であった。
聖堂に入るとそこの空気が少し白く感じられた。暖房が入っているので、寒気による人の息ではない。恩寵による穏やかでやさしく、純潔な空気がその聖性によって白く輝くように感じられたのである。大斎の祈祷は普段の祈祷より長い。朝の六時に始まり、終わるのは昼の十一時半、十二時半である。最初わたしはとても長時間の祈祷には耐えられないと思ったが、聖堂の中に入り、祈祷が始まると、すでに時間の存在しない天国の永遠がこの世と交流しているかのように、時間が感じられなかった。朝の祈祷はとても心地よい静けさに満ちていた。その中でこの世の荒波で荒れ狂っていた心が段々と穏やかになっていく。静かな安らぎ、平安を胸の内に感じる。祈祷が終わるとき、何かこの安らぎの時空から外にでるのが残念になる。
祈祷の後は各自の仕事が始まる。復活祭の前なので、私は復活祭の卵を描く工房に案内された。正教会では復活祭に赤い卵をあげる習慣がある。命を内に秘めた卵は復活のしるしで、伝承によれば、キリストの女弟子マグダラのマリアがローマのティベリウス皇帝に赤い卵を渡し「ハリストス復活(キリストは復活せり)」と言ったのが始めという。(注:ハリストスとはキリストのギリシャ語、ロシア語の発音である)。ロシアでは現在でも復活祭に赤い卵を用意し、それを家族で食べたり、プレゼントしあったりする。また、本物の卵だけでなく、木や陶器でできた芸術作品ともいえるような卵も多く作られる。そこには赤い卵にキリストを抱いたマリア像などが描かれ、家の飾り物ともなる。教会の工房では特別に注文した卵型の木に色を塗り、各自がそれぞれ美しい絵を描くという、復活祭の贈り物を準備していた。わたしも二つほど描かせてもらった。
教会の下には小川が流れ、その横から湧き出ている泉の水が小川に流れ込んでいる。この泉は聖セルギイの泉と呼ばれており、奇跡をおこす力がある聖なる泉として有名である。この泉の水によって多くの人の不治の病が治り、現在でも多くの奇跡を生んでいる。そこで宿泊施設のあるこの教会にも、ただの巡礼者のほかに、医者から見放された難病をかかえる人々もまた多く滞在しており、彼らは各自の信仰の度合いに応じて癒しを受けている。この教会に着いたとき、わたしにはどの医者も直せない胃の病気があった。すぐに痛むので効き目は薄いが胃薬は手放せなかった。そこでわたしも泉の恩寵に与ることにした。極寒の寒さの中でも人々が泉の恩寵にあずかろうと詰めかけてくる。泉の流れ込んでいる小川にはその上に小さな木の小屋がたてられ、そこで脱衣できるようになっている。小屋の下は小川であり、小さな梯子を伝って小川の中に聖三者の御名によって入る。「父と子と聖神の御名によって、アミン」そして頭まで水につかる。これを三回繰り返したのち、バケツに汲んだ清らかな泉の水を全身にあびる。浴びた後は何か考えまで清まったかのような爽快感が心に広がり、体も軽くなったように感じられる。これをわたしは復活祭が終わるまで繰り返した。
ロシアの冬は寒い。わたしは変なことから風邪を引いてしまった。慣れない生活にストレスがたまり、心の中で愚痴を言ってしまったのである。すると神様からの罰のように咳がとまらなくなった。日本から薬も持ってきたが、神様に直してもらおうと飲むのを我慢していた。教会に住んでいる女の子が蜂蜜とレモンの入った紅茶を持ってきてくださり、温まったのを覚えている。しかしそれでも咳は止まらなかった。わたしは神父さんの言いつけを守るように努力していた。
復活祭間近の生神女福音祭(マリアの受胎告知を祝う正教会のお祭り)のことである。わたしには聖歌隊で歌うことが祝福されていたので右側の聖歌隊席にいた。そこでもわたしは咳をして聖歌を乱していた。しかしこの福音祭の聖体礼儀が始まり、神父様がいい香りのする乳香をたいた高炉を振りながら聖歌隊席に来たとき、神父様は突然、透き通るような優しい目をしてわたしに言った。「恩寵が触れたかね」。わたしは何のことか分からずきょとんとしていた。すると聖歌隊の女性が笑いながら私に訪ねた。「もう咳はしないの?」気がつかなかったが、そういえば、お祭りの祈祷が始まってから私は咳こまなくなっていたのである。不思議なことがあるものだと思っていたが、考えによって再び罪を犯したとき、せっかく治った咳が戻ってきてしまった。
私はロシアで迎える最初の復活祭で復活の聖歌を歌いたかった。そこで部屋にかえって神様に祈った。「どうか復活祭までに病気を治して下さい」
 復活祭前の一週間は受難週と言われ、キリストがエルサレムに入ってから、十字架上で息を引き取り、葬られるまでの出来事を聖書の記述どおりに祈祷の中で追体験する。聖大金曜日は主の十字架での苦しみを記憶し、十字架上で死した主の体を洞穴の中の墓に安置したところまでを追体験し、聖大土曜日は遺体を墓に安置した後の安息日の出来事を追体験する。この日、正教会の教えによれば、人として十字架上で死したキリストは死せざる神として魂にて地獄に入り、死した人々のもとを訪れたという。金曜日の悲しみに満ちた祈祷と代わって、土曜日の祈祷では喜ばしき復活を目前にした安息と平安がすでに感じられる。聖堂の前方中央には「眠りの聖像」という主の遺体の絵が縫い取られた布が安置され、聖堂全体が主の遺体が納められた洞穴の象取りとなる。
復活祭は夜半に始まる。わたしは何とはなしに緊張していた。祈祷までの時間がとても長く感じられた。ようやく聖堂で祈祷が始まる。まずは夜半課という祈祷が読まれる。復活祭前のおよそ夜中の十一時半である。眠りの聖像の前での最後の祈祷が終わり、そして午前十二時前に皆が聖堂を出、聖堂の周囲を回る十字行が始まる。鐘の音が響きわたるなか静かに聖歌が歌われる。「ハリストス救世主や、神の使いら天において、汝の復活を崇め歌う。我等も地において潔き心をもって汝をほめ歌わしめ給え。」聖堂の門まで来ると、司祭は祈りを始める高声を高らかに勝ち誇ったかのように唱える。「光栄は一性にして生命を施す別れざる聖三者に帰す、今も何時も世世に」そして歌う。「ハリストス(キリスト)死より復活し、死をもって死を滅ぼし、墓にあるものに命をたまえり。」聖堂の中に入るとすでに「眠りの聖像」が象徴する主の遺体はない。主は復活したのである(聖書には三日目の日曜日明け方、女弟子たちが主の墓が空になっているのを発見し、訝っている彼女たちにキリストが復活した姿で現れて「喜べよ」とあいさつした出来事が記載されている)。復活を宣言する聖歌が聖堂にこだまする。さきほどまでの静かで抑制されていた祈祷と聖歌が一転して爆発するような喜びの祈祷となる。「ハリストス復活!」「実に復活!」周囲の皆が喜びで顔をほころばせ、頬を赤く染めている。湯気のような熱気で聖堂内が熱くなる。「ハリストス復活!」神父さんは私たちが工房で用意した飾り卵を会衆にむかって投げた。「実に復活!」うれしそうに卵を受け止める。神父さんも赤の祭服に着替えられており、まるで教会全体が喜びを積んだ船のようだ。私は聖歌を歌っていたが、すでに咳はでなかった。祈った通り、復活最の祈祷が始まった瞬間に咳がやんだのである。
復活祭の祈祷は夜明けごろに終わり、七週間の節制から解放されて、お祭りの食卓となる。食卓には卵、卵をふんだんに入れたクリーチという復活祭のお菓子、パスハ(復活祭)という名のカッテージチーズのお菓子などがならぶ。すっかりお祭りムードになる。「ハリストス復活」「実に復活」挨拶をかわしながら、赤く染めた卵をコツコツとぶつけて穴をあけ、主の復活の喜びをかみしめながら卵をいただく。
これから一週間は光明週間という復活祭のお祭りの週である。毎日の聖体礼儀の後には十字行が行われ、そこで四福音書の主の復活の箇所が読まれる。「ハリストス復活!」「実に復活!」この応答が人々の挨拶の代りとなり、復活祭期中この喜びの挨拶がいたるところで聞かれる。光明週間は毎日朝から晩まで鐘が打ち鳴らされ、キリストの復活の喜びを知らせる。わたしも鐘楼に登らせてもらった。高い鐘つき堂の上からラドネジの村、広がる草原、森林、家々が見渡せる。下の世界
はもう緑だった。この七週間の間に景色は白から緑に変わっていったのである。まさしく喜びの春、復活の春、命の春を迎えたのだ。そしてこの旅が終わって帰国した時、あることに気がついた。手放せなかった胃薬をもう何週間も飲んでいなかったという事実を。そしてこの大斎での清めのあと、日本に戻ってきてさらに気付かされたことがある。以前話すことが苦手だった知人が愛すべき隣人として目にとびこんできたという事実に。主の変容聖堂でわたしの心も幾分変容したのだろうか。まさに生きた主の恩寵と出会ったロシアでの復活祭だった。「ハリストス復活!」「実に復活!」


 

永遠の命に向けて―癌と向き合って [エッセイ]

永遠の命に向けて―癌と向き合って

今の世の中、死について口にするのはタブーである。発達した医療もいかに命を延ばすかということに研究が向けられているが、誰にでも必ず一度は訪れる死についての答えはでていない。わたしの周囲でもそうだった。わたしがクリスチャンであり、死後の永遠の命を信じているにもかかわらず、である。周囲がクリスチャンでないこともその要因だ。どのように恐るべき死について語るか。
 昨今、突如として身内に進行性の癌が発見された。彼女は当然、おそらく生まれて初めて迫りくる死の可能性に脅かされることになった。手術をするにもリスクがある。術後も再発、転移の危険性がある。この世の命が永遠に続くものではなく、いつか終わりが来る事を否応なく知らされる機会が訪れたのだ。
 恐らく神が直接的な手段をもって彼女に語りかけたのだろう。過ぎ往くこの世の命に執着せず、永遠の福楽に目をむけなさい、と。何故なら約二千年前にハリストス(正教会の発音でキリストのこと)が来たのは、まさしくこの人類を脅かす死を滅ぼすためだったからだ。最初の人間アダム、とエヴァが創造された時、人間は死とは無縁の存在だった。命の源である神の似姿として創られた人間もまた、「生きる」存在として創造された。
 その人間に死が入り込んだのは、アダムとエヴァが神の誡めを破り、罪を犯したからであった。罪の結果として死が人類に入り込んだ。それは霊(たましい)と体との分離のことである。人間はこの二つが一体となって完全な人間なのであり、霊と体が分離する状態は非常に不自然である。霊が離れて行った体は分解し、土に帰る。一方霊は分解することのない単一な存在でこの世の記憶も意識も持ち続けたまま生き続ける。その哀れな状態を見過ごすことが出来なかった神は、自ら人体を取り、十字架に釘打たれ、人間として十字架上で死に(しかし神としては死ななかった)、地獄に降り、そこに繋がれていた人々を解放し、三日目に復活した。そして彼に続く人類が彼に倣い、皆復活し、永遠の命を得るようにと制定されたのである。これが新約である。(復活というのは、人が新しい霊的な体をまとって再び霊と一体となり、今よりさらに完全な人間となって甦ることを意味する)このことが新約聖書に書いてあるのである。故に今は新約の時代で、我々は死後の命を確信することができるのである。もしイイスス・ハリストスを信じていれば。
 死後も生き続けるのであれば、その運命はいかなるものであるか。それはこの世の生活態度、心の状態できまる。それではどのような生活を送ればいわゆる天国の福楽を得ることができるのかということは、それもまた新約聖書に書かれている。それが福音書の誡めである。この誡めを守る生活を行っていること、これが天国に入るための前提となる。
 この天国での生活のすばらしさについて、ある聖人は次のような内容の事を言っている。「もし、天国に入ることができるのなら、この世のどんな苦しみも耐えることができる。たとえウジ虫の中で暮らしても、天の国の甘美さには変えられない」、と。この天の国の福楽、甘美さが永遠に続くのである。それに比べてこの世の命は暫時である。この世の命とは待望する天の国に入るための準備期間なのである。故にもしこの準備期間を正しく過ごせば、死は恐るべきものではない。何故なら死によって天の福楽に移行するからである。
 彼女にはこの永遠の命について話さねばならないだろう。何故ならまさしく死と向き合うことで、永遠の命に入るためのこの世での生き方が決まってくるからだ。聖人たちは「死を記憶すれば罪を避けられる」と言っている。死の記憶、死と向かい合うことはタブーではない。逆に自分の生き方を変える、スタート地点なのである。

 

命のきらめき―癌病棟で [エッセイ]


私はほとんど毎日病院の母を見舞った。母親が寝ている病棟は主に癌患者が収容されている。手術の後母親は日増しに健康を回復していった。つい最近のことである。母親が頭を洗いたいと言った。このことを知って、やはり癌を患い抗がん剤で髪の毛がほとんどないご婦人が母親の洗髪を助けに飛んできた。彼女は効果的に頭を洗う方法を知っているのだという。そして私に丁寧に説明しながら、病院の流しで力をこめて母親の頭を洗いながら言った。「退院祝いにさあ。」私は一瞬飲み込めず、おそるおそる問うた。「もうすぐ退院されるのですか。」「いやわたしはずっとここよ。あなたのお母さんのことよ。」仕事を終えると、疲れたのだろう、自分の床にかえって長いこと休んだ。
 私は命の輝きを見て感動した。このがん患者は命の最後の次期を愛の行いに捧げようとしている。彼女はもう痩せているが、今でも健康な時は美人だったであろう面影が残っている。しかし、彼女の人生は複雑だったという。離婚、不良になった息子、生活費を稼ぐためのバーでの仕事。一方髪を洗ってもらった母親のもとには夫、娘が毎日通ってきている。誰の目にも幸せな主婦と写るだろう。
 しかしそんな主婦を自己犠牲的に助けた彼女はどうやらすでに妬みという欲望を克服したらしく、死が近づくのを待ちながら、人の幸せを喜んでいる。
 わたしたちは体では健康でいながら、霊(たましい)ではどれだけ欲望を抱えて生きているだろう。わたしたちは時として、自分を後まわしにして人の幸せを単純に喜べない。体では健康に生きながら、霊(たましい)は病んでいるのかもしれない。
 聖使徒ペトルは正しく述べている。「体に苦しみを負ったものは罪を犯すことをやめる」と。彼女の中には苦しみを通して愛が輝き始めた。日々、来世への旅立ちに近づきながら命がきらめき始めた。なぜなら愛は光であり、愛のない人生は生きていても死んだものだからだ。天国に携えられるものは愛だけである。肉体は脱ぎ棄て、物質も置き捨てるのだから。
 すべての人の人生を節理的につかさどる神に光栄。彼女はまだハリストス(キリスト)を知らないが、今良心に従って、福音にしたがって生きている。なぜなら聖使徒パワェル(パウロ)が書いているように、異教徒にも戒めの行いが彼らの心に書き記されているからである。
 癌病棟で私は命のきらめきを見た。おそらくもし霊的な目が開かれたら、そこで、点滴の管をつけたパジャマ姿の哀れな肉体の中に、永遠の命に向けて準備をしている多くの魂を発見することだろう。
― その後 -
 病院での母の最後の一日が来た。この日母は初めての抗がん剤治療を行うことになっている。長い間ベッドで点滴をうたなければならない。わたしも仕事が終わり午後から駆け付けた。突然あの愛のご婦人がひょっこり現れた。産婦人科病棟に移っての治療だったが、最後の日というので、はるばる西病棟からお出かけくださった。母としばらく話したあと、私の方を向いて突然問うた。「あんたクリスチャンでしょ。わたしもさあ、小さい時日曜学校(教会で行われる子供たちのための日曜日の勉強会)に通っていたのよ。今思うと若いころ洗礼を受けていればよかったよ。」私は「今からでも遅くないですよ。この病院の近くにも教会があるんですよ。場所はわたしも知っていますから、もしよかったらご連絡ください」といって自分の名刺を渡した。
「病院にはこれといって楽しみがないのよ。だから太陽を見にいくのさ。夏の朝がいいねえ。朝早く目が覚めると、窓辺に近寄って、指の隙間から太陽を見るの。眩しいでしょ。」そういって指を目にかざして見せた。「そうすると隙間からこぼれる光が十字架に輝いて見えるのよ。それが感動的でさあ」神は愛をもって隣人を励ます彼女をどんなに愛していることか。彼女を傍におきたいのだろう。太陽の光の十字架をもって彼女の心を守っている。彼女と会ったのはそれが最後だった。十字架をブレゼントしなかったのが悔やまれてならない。神よ、願わくは洗礼をもって彼女の罪をぬぐい、天国へと導き給え。
  

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