愛 [キリスト教]

 愛は決して涸れない。愛は多くの人に向けられても、小さくなることはない。このことをエピファニイ長老は語った。「本物の愛は蠟燭の炎に似ている。一本の蠟燭からどれだけ他の蠟燭に火をつけても、最初の炎は完全のまま残る。炎は少しも減らない。そして新しい蝋燭もみな、他の蠟燭と同様の炎を持つのである。」  イオシフ長老は語った。「恩寵が祈る者の霊(たましい)の内に作用する時、神の愛が豊かに灌がれるので、人は感じるものを留めることができない。その後この愛は世に、人に向けられる。祈るものは人をたいそう愛しているので、自身全ての人類の痛み、不幸をわが身に引き受けたいと望む。それはその痛みや不幸から他の人を解放するためである。概して、祈る人は一人一人の悲しみや困窮に同情する。言葉をもたない動物たちにも同情する。故に彼等の苦しみを思う時に、泣く。これは祈りの際に生じる愛の特性だ。故に祈りに練達した者は世界のために祈り続ける。まさしく彼等のおかげで神は世界を存続させているのである。たとえ人々がこのことを自覚せず、義人を評価しないとしても。彼等がいなくなる時、その時世の終わりが来るということを知りなさい。」 何が人間の社会を築き上げるか知っているか。それ愛だ。愛はすべてのことを、もっとも困難なことをも成し遂げる。愛は他人の痛みを担うからだ。
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