主は愛する者を鍛える   -  聖山アトスのパイーシー長老

「長老、何故人々は今日これほどの苦しみを経験しなければならないのですか。」 「神の愛からです。あなたは修道女で、朝早く起きて、自分の修道の祈りの規定を果たし、チョートキで祈ったり伏拝したりするでしょう。この世の人々にとっては、彼等が経験する困難が彼等の規定、彼等のカノンなのです。この困難や苦難の力をかりて人々は清まります。この苦しみは神へと近づけることも、天の口座に霊的な貯金を預金することも助けないこの世の慮りのない生活より彼等に大きな利益をもたらします。ですから人々は悲しみや誘惑を神からのプレゼントとして受け止めなければなりません。  善なる神は、神の子供たちが神へと立ちかえるために善良な父親として試練をとおして子供たちを教育します。神はこれを愛から、神聖なる善良さから行うのであって、悪意やこの世の法律上の公正さから行うのではありません。つまりご自分の被造物を救おうと願いつつ、彼等が神の天の国を受け継ぐことを願いつつ、神は人々に試練を許されるのです。神は、人が予め、戦いと苦行を自ら引き受け、痛みに耐えるという試験に受かるように、悪魔が「なんであなたは彼に報いを与えるのですか。どうしてあなたは彼を救うのですか。彼は労していないじゃないですか。」と言わせないように人々に試練を許されるのです。神はこの世の命のことに興味はありません。神が興味があるのは来世の命なのです。何よりもまず、神は私たちの来世の命について慮り、その後に始めて地上の命のことを慮るのです。  「長老、でも何故神はある人々には多くの試練を与え、他の人々には全く試練を送らないのですか。」 「聖書になんと書いてありますか。」『神は愛する者を鍛える』とあります。たとえばどこかのお父さんに八人の子供がいました。五人はお父さんと一緒に家に住んでいましたが、三人は家を出て、お父さんのことを忘れてしまいました。もしお父さんと一緒に住んでいる子供たちが何か罪を犯したら、お父さんは子供の耳をつかんで、首筋を打つでしょう。もし子供たちの聞きわけが良かったら、子供たちを可愛がり、チョコレートを与えるでしょう。一方お父さんから遠くに住んでいる子供たちは愛撫もお叱りもありません。同様に神も行うのです。神と共に生きる人々、善良な心もちを持っている人々は、もし彼らが罪を自分に許すなら、神からおしかりをうけゴツンとやられます。そして彼等は自分の罪の清算をするのです。もし神が彼等にもっと多くげんこつをくだせば、彼らは自分のために天の報いを積むことになるでしょう。一方神から遠く離れて住んでいる人々には神は彼等が悔い改めるように長き命を与えます。ですから、この世の人々が深刻な罪を犯しいても、物質的な富をふんだんにもっていたり、長い間悲しみを経験しないで暮らしていたりするのを見るのです。これは、これ等の人々が悔い改めるようにとの神の摂理によって起こります。もし彼らが悔い改めなければ、来世の命で彼等らは何も正当化されないでしょう。
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