「試練の十字架」  聖山アトスのパイーシー長老   


長老、私は絶えずあなたが祝福して下さった十字架を下げています。この十字架は困難の時私を助けてくれます。 「知っているだろう、私たち一人一人の十字架もこの十字架のようなものだ。それは私たちが肩から下げていて生涯私たちを守る小さな十字架に似ている。私たちがとても大きい十字架を下げているとでも思うか。ただハリストスの十字架だけが大変重いものだった。何故ならハリストスは我々人々への愛からご自身のためにその神聖なる力を用いようとされなかったからだ。一方十字架上での磔の後、ハリストスは一人一人の十字架の重みをご自身に引き受け、これからも引き受けて下さり、その神聖なる助けとその甘美たる慰めによって私たちの試練の痛みを軽くしてくださる。  善なる神は一人一人にその人の力に応じた十字架を与える。神は人間に人が苦しむ為ではなく、人が十字架から天に上がれるようにと十字架を与えた。十字架の本質とは天への梯子だ。試練の痛みを耐えながら、私たちが天の宝物庫へどのような富を納めているかを理解していたら、私たちは不平をこぼすことなく、自分に神が与えたこの小さな十字架を引き受けながら、神を讃美することだろう。このように行いながら、私たちはこの世の命ですでに喜び、来世の命では「霊的な年金」、「臨時手当」をもらうのだ。あそこ、天では私たちは神が私たちに用意された領地と分与が保証されている。しかしもし私たちが、神が我々を試練から逃してくれるように頼んだら、神はこの領地と分与を他の人に与え、私たちはそれを失うことになる。もしも私たちが忍耐したら、神は我々にさらに霊的な利子を与えることだろう。  ここで苦しむ人は幸いだ。何故ならこの世での苦しみが大きければ大きい程、来世の命での利益も大きくなるからだ。このことが起こるのは人が自分の罪の値を清算するからだ。試練の十字架は神が我々に与えた才能、賜物よりも上だ。苦しみまたは致命的な死によって清らかな報酬をいただくことができる。故に試練が有るたびに「我が神よ、あなたに感謝します。何故ならこれは我が救いにとって必要不可欠なことだからです。」と言おう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。