人間の歴史ー旧約と新約

 神は常に愛のうちに生きておられる。神とはキリスト教の至聖三者の神のことで、三つの位格からなり、神・父、神・子(イエス・キリスト)、神・聖神である。神・父が神・子、神・聖神を愛しているように、神・子も神・父、神・聖神を愛し、同様に神・聖神も神・父、神・子を愛している。神は愛である(第一イオアン四章八節) 愛のうちにある生活とは偉大なる喜びであり、高位の福楽である。そこで神は他の存在もこの喜びを享受できるようにと思し召された。このために神は世界を創造された。  最初に神は天使の世界を創造された。その後、私たちの地上の世界を創造された。私たち、人間に主(神)は理性と不死の魂を与え、ある使命をも与えられた。それは神を知り、ますます善なる存在となること、つまり神とお互いへの愛のうちに完成され、ここから人生においてより大きな喜びを得ることである。  しかし人々は神の意志を破ってしまった。つまり罪を犯したのである。その罪によって人間の理性、意思は暗み、肉体には病と死が入り込んできた。人々は苦しみ、死ぬようになった。人々は自分自身の力では、自分自身のうちにある罪とその所産に打ち勝つことができなくなった。つまり理性と意思と心を改め、死を撲滅することができなくなったのである。   これができるのは唯一全能の神だけである。全知全能の神は世界創造の前から全てを知っていた。最初の人々が罪を犯した時、神は彼等に世界に救世主、神の子、イエス・キリストが来ることを告げ、この救世主が罪に勝ち、人々を永遠の死から救い、彼等に愛と永遠の命、福楽を返すことを告げたのである。  世界創造から地上に救世主が到来するまでの時代を「旧約」の時代と言っている。つまり昔の(古い)合意、もしくは神と人々との関係のことである。この旧約に基づいて神は人々を約束された救世主の受容へと準備した。人々は神の約束を覚えていなければならなかったし、キリストの到来を信じ、待たねばならなかった。  この約束の実現、地上への救世主、神の独生の子、我等の主、イエス・キリストの到来を新約と呼んでいる。つまりイエス・キリストが地上に現れ、罪と死に打ち勝ち、人々と新しい関係、合意を結んだことである。この新約に基づいて、全ての人々はキリストが地上に立てた教会を通して、再び失われた福楽―神との永遠の命を得ることができるのである。
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