日本の聖ニコライの説教ー領聖につきて

明治四十一年三月十四日大斎初週の土曜日の説教 父と子と聖神の名による。 あなたがたが皆自分を準備して今聖体機密に与ろうとするのは、大変喜ばしいことです。あなたがたがまさに与ろうとするこの聖機密があなたがたの霊を養うように、この機密の教えを少し述べましょう。  神造物主は初め人を創造されたときに人の身体を土より造られましたが、その口から気を吹いて人に霊を付し与えられました。このため、人は身体では地に属しても、霊では天に属し、身体は霊に応じてだんだんと成長進歩して、ついにハリストスの復活の後の体のように、身体は霊に適うものとなるべきはずでした。  しかしわたしたちの身体は霊に適わなくなっただけでなく、かえって身体は霊を己に従わせて、人類は罪に陥りました。こうして全人類はついに罪の中に永遠に亡びるものとなったのです。  しかし神は限りない仁慈をもつ愛の神ですから、人を罪の中から救う道を立て、神の子イイスス・ハリストスは人体を受けてこの世に現れ、わたしたちを救われたのです。あなたたちが今まさに領食しようとするこの聖体機密によって、あなたたちはこの救いに預かるものとなりました。こうしてあなたたちは主ハリストスに共興する者となり、皆永遠の生命を受けるのです。  しかしこの機密に与るためにはまず自分を清めなければなりません。つまりわたしたちの心にある様々な不浄不潔を取り去って、清いものとならなければならないのです。自分を清くするために第一に必要なことは、各人が謙遜の心を養うべきことです。御覧なさい。人類が始めに罪に陥ったのは高慢の罪が原因でした。元祖は神のようになろうとの傲慢心のために永遠に亡ぶものとなったのです。ですから主ハリストスは初めて福音の伝道をされたときに、まず「神(しん)の貧しき者は福(さいわい)なり」と言われて、第一に謙遜のことを教えられました。私たちの多くの罪はみなこの傲慢、高慢の心から生ずるのです。人々の中にはこの自負自慢によって神を信じないものもいます。わたしたちは自分を省みるとき、自分の中に何か誇りとするものがあるでしょうか。自分の才能を自ら認めるとしましょう。しかしこの才能も神の賜物ではありませんか。何か自分に美しいものがあると自負していますか。これは皆神の賜物ではありませんか。わたしたちは一つも、塵一つも自分を誇るべきものを持たないのです。  もしわたしたちがこのことを認めなければ、ついに謙遜の心を失って、ますます憤怒の罪に陥ります。怒りの心によってすこしも他人のよい点を認めることができずに、ついに怒りが憎しみとなり、殺人という大きな罪さへも犯すことになるのです。  ですから、第一に謙遜の心を持って、各人が自分の罪を認め、他人の罪を数えず、謙遜をもって人生を送りましょう。この教訓は斎の祈祷の中で詳しく学びました。願わくは神の恩寵によってまさに領けようとする聖機密がわたしたちの定罪とならず、永生の養いとなるように。
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パンパース


2人組のおねいさんに何発もヌキヌキされまくった!!!!

しかも勃たなくなったらボッキ→発射→前立腺→ボッキ…の繰り返しでチ○ポ壊れるかとオモタしwwwwww

1回10万はめちゃウマだけど、
こんなの毎回やってたら俺インポになるんじゃねぇか?www(`・ω・´;)

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by パンパース (2009-12-13 14:19) 

宗太


このサイト
http://hong.findeath.net/9p0cos5/

経験ゼロでもなんとかなるもんだな!!!
ってか、寝てるだけで6万もらえるとかどんだけ楽な仕事なんだよwww
by 宗太 (2009-12-20 13:01) 

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